ドラゴン、革命、はさみ、こんにゃく

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とある高校で髪型についての問題があがっていた。

一個キーポイントになっているのが、生徒の民族的ルーツに基づいた髪型という事だ。
 
自分は校則云々に対して何とも思わない。
古い校則は変えるべきと訴える大人達の何割が自由な髪型や服装ができているだろう。
その自由さは法的に自由、というだけで集団からは自由とは言えないんじゃないだろうか。
そんな事ないと言うあなた。
あしたからシャンプーでウルトラマンヘアにして毎日暮らしてください。
服を着ただけで自由だったり個性が手に入る訳じゃーない。
自由でありたければ内面に自由さを抱いた方がいい。
 
髪と自由、髪と革命という言葉は密接である。
自由の代名詞と言えるヒッピーは長髪にする事で体制への反抗を表した。
文明開花はざんぎり頭と共に伝来した。
古くから頭髪を丸められる事で、反省の意を表明すると言われる。逆に言えば髪型は自らの表現の一つであり、アイデンティティであると言える。
 
基本的に(スキンヘッドは別として)近代では長髪が反発の表れであるといえる。
確かに見た目にも清潔感のなさやだらしなさが見えるロングヘアは規律からはみ出した行為のように思える。
 
しかし、例外とは全てに存在する。
髪を切る事で反発を表した人物がいる。
 
藤波辰爾である。
 
1988年、全日本プロレス天龍源一郎がマッチメイクの改善をジャイアント馬場へと要求。
前田日明が現在の総合格闘技へと通じるロープは飛ばない団体、UWFで活躍。
テレビでの中継も打ち切りになるかとよからぬ空気が漂っていた(という。私は生まれてないのでね)。
 
しかし団体の中で君臨し続けていた人物がいる。その人こそアントニオ猪木
もはや日本の父性と言っても差し支えないような人物である。
 
人は成長につれオイディプスコンプレックスを克服する為に心理的に父親を殺す、通過儀礼としての行為が存在する。
 
藤波辰爾にとってのそれは、髪を切ることであったのだろう。
三本の指に入る滑舌の悪さで猪木へと詰め寄り、思いの丈をぶつけ合い、顔を張り合う。
これはプロレス界ではよくある事である。
ここからだ。
ふと救急箱に目をやり、中にあるハサミを取り出すと髪を切り始める。
猪木も「待て。待て、待て」としかボキャブラリーを出す事が出来ない。
 
後に振り返って
本当に……勝った後、自分でなんか主張はしたいんだけども、なにか自分がやるものがない。で、たまたま……猪木さんに手を上げた後でしょう? で、控室に救急箱があって。ハサミもあって。……運がいいのか、悪いのか、僕の前にハサミが転がってきて。で、そのハサミを持って。そうしたらね、いろんな選手がみんな一瞬、僕がハサミを持ったもんだからシーン……って静まり返って。別に僕はなんにもするわけがないんだけども。それで、ハサミを持ったままやることがないでしょう? だから自分の頭を……」
 
と語っている。
 
革命とは時に滑稽なものであり、
目に見えない何かに動かされるものなのだ。